東海道・山陽のPF(1)
EF65の1000番台のことをPFと呼びます。国鉄直流機の傑作機といって良いのでしょうが、その”ピーエフ”という言葉の枕詞として真先に思いつく言葉は…「なんだぁ…PFか…」ゴハチ末期、臨時列車を待つゴハチファンの溜息。

東海道・山陽筋にPFが充当されたのは、1056〜のPS22B搭載機からです。最終的には1056から1139まで83輌ものPFが東海道・山陽本線用に増備されました。最初は貨物用に新鶴見から充当され、そしてPFにとってもっとも晴れがましい舞台となった東京発寝台特急牽引機として東京区に。その後、関西−九州特急用として宮原にまで配備されます。その他下関などにもあったようですが詳しくわからない…要するにあんまり把握してないんです-_-;

PFの進撃は、EF65Pをローカル貨物仕業に追いやったり、EF58の活躍の場を狭め廃車に追いこんだりと、決してファンからは歓迎されたものではありませんでした。

そのゴハチもかつて東北線ではゴナナを待つファンからは、「なんだぁ…ゴハチか…」と言われていたことを思うと、総勢139輌、名実ともに平坦路線の国鉄標準機となっていたPFもいずれ暖かい目で見られる日がくるかもしれませんね。

というわけで、ゴハチほど熱が入りませんが、東海道沿線で待ってる間に自然に溜まっていった東海道山陽線で活躍した80年代初頭のPFの画像を集めてみました。(…にしても積極的に集めていたわけではないのに数だけはあるなぁ…-_-;)

撮影は全て83年〜84年


1063。最初にPFが東海道筋に進出してきたのは、この新鶴見の貨物運用からでした。


東戸塚付近
1066。とび色2号のパレット車以外の二軸貨車もあっという間に「今は思い出」になってしまいましたね。

東戸塚付近
1075。画像右に人が集まってますが、別にこのPFを待っていたわけではなくこの次に来る荷2033レの宮原のゴハチを待っていたのでした。

保土ヶ谷−東戸塚
上り「みずほ」を牽く東京区の1091。機関車次位がスハネフではなくスハフになっているのは、確か14系が順次2段ハネ化改造を受けていたためで、特に輌数に余裕もない上、編成から抜くことができない緩急車にはハザが充当されました。抜けないのは電源用エンジンが要るから。

保土ヶ谷−東戸塚
「サロンエクスプレス踊り子」を牽く1091。こうして見ると颯爽としていていかにも「これが撮りたかったんだ!」とも見えますが、撮っている本人は落胆してます。期待していたのはロクイチでしたから…。

横浜
横浜に到着した上り「サロンエクスプレス踊り子」を牽く1091。ハザの14系臨時「踊り子」には上りはありませんでしたが、SET踊り子は上りも設定されtました。隣りに停車中は下り「冨士」牽引機はもちろんこちらもPF。

保土ヶ谷−東戸塚
下り「はやぶさ」牽く1095。

保土ヶ谷−東戸塚
「サロンエクスプレス踊り子」を牽く1097。まだまだ新鋭機だったPFはピカピカですね。当時は落胆してましたが、綺麗なPFの牽く「サロンエクスプレス踊り子」というのも今となっては貴重かも。

茅ヶ崎−平塚
季節臨の銀河を引く1098。定期銀河は宮原のPFでしたが、臨時の方は東京だったみたいですね。

保土ヶ谷−東戸塚
1098。上り「冨士」。編成途中のアクセント(?)白帯車は食堂車オシ24です。

保土ヶ谷−東戸塚
臨時「踊り子」を牽く1098。危うくカブルところでしたが、「なんだぁPFならかぶってもよかったか」と思っていたことでしょう。

保土ヶ谷−東戸塚
上り「みずほ」を牽く1100。

早川−根府川
12系を使った団臨を牽く1101。

保土ヶ谷−東戸塚
長野局の12系お座敷「白樺」を牽く1102。斬新なカラーリングを纏う「白樺」は、その後に続く各局のジョイフルトレインのパイオニア的存在でした。

保土ヶ谷−東戸塚
同じく「白樺」を牽いて東海道を上る1102。上の写真の帰路だったと思います。元来こういう臨時列車こそ東京のゴハチの独壇場でした。

保土ヶ谷−東戸塚
上り「はやぶさ」を牽いて雪の上がった曇天の東海道を行く1103。